ふるさと姫路ギリシャの旅ルネサンス美術紀行


   祈りの詩人 八木重吉


        

八木重吉(やぎじゅうきち)は、町田が生んだ詩人です。純粋で素朴、わかりやすい言葉でその心を詩にしています。生前はたった一冊の詩集しかありません。詩人は2000以上の詩を遺して29歳の若さで亡くなっています。98年、町田市相原の実家の墓前で、生誕100年祭が行われました。秋にはしみわたる重吉の詩です。
      

素朴な琴
の明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴は静かに鳴りいだすだろう



 明治31年(1898)、町田市相原町に生まれ。神奈川師範から東京高師英語科を卒業。内村鑑三の著作に感化されキリスト教徒に。大正10年、兵庫県の御影師範(神戸大教育学部)の英語教師。千葉県柏東葛飾中学校(東葛飾高校)に転任、病弱ながら詩作、第一詩集「秋の瞳」を刊行。昭和元年、肺結核で入院、昭和2年10月26日、29歳で死去。

    

 遺児の桃子さん(14歳),陽二さん(15歳)は、肺結核で相次いで亡くなりました。登美子夫人は数多くの遺作を大事に、重吉の亡くなった病院で働いていました。死後20年目の命日に、歌人吉野秀雄氏と再婚。夫婦で遺作の詩を世に出しました。登美子さんはさきごろ亡くなりました。
 町田・相原の実家の墓地には重吉と遺児2人の墓があります。命日の10月26日には重吉を偲んで「茶の花忌」が行われ、重吉のファンが遠くからも駆けつけてきます。


くものある日
くもは かなしい
くもの ない日
そらは さびしい

 八木重吉の詩は在世中はそれほど知られませんでした。しかし草野心平が心を許し、高村光太郎が絶賛しています。作家の三浦綾子さんは、いま尊敬できる人に、八木重吉をあげています。

 青春時代、私は長い療養生活を送った。そんななかで来る日も来る日も八木重吉の詩を読んだ。そこには、たとえようもない柔らかい魂と、透明ともいえる感受性と強い信仰があった。悲しむものの涙を誘い、うなだれるものに希望を示し、闇夜を迷うものに一条の光を与えた。八木重吉の名を聞くと、私の心はいいしれぬ平安を覚える。

 八木重吉さんの生家は1961年に火災で焼失しました。その生家の敷地内に記念館があります。重吉を慕う甥の八木藤雄さんが、土蔵を改装して八木重吉記念館を開設しました。
 小さな記念館ですが、資料と遺品が数多く整理され展示されています。書き込みや線がひかれた愛用の聖書、筆書きの詩の原稿、手紙の数々、桃子ちゃんの習字も保存されています。
 詩の草稿は書いては消し、消しては書く,推こうの跡が生々しくたどれます。記念館は無料開放されていますが、見学には事前の予約が必要です。рO42(782)2950

        

 生家のある相原は、もう高尾山に近いところです。低い山がせまり、川が流れています。まだのこるふる里の風景です。秋には山は色づき重吉の世界が広がります。生家は町田から高尾に抜ける道路沿いの高台にあります。法政大学の多摩キャンパスはすぐそこでした。

<生家>
町田市相原町4473 八木藤雄さん。敷地内に記念館と詩碑(素朴な琴)。道路を挟んだ反対側に墓。
 横浜線の橋本駅・相原駅からバス約40分「大戸橋」
下車。車だと町田街道を高尾方向に向かい、相原大戸橋バス停前。


☆ ほん

定本 八木重吉詩集(弥生書房) 八木重吉全集(筑摩書房) 八木重吉全詩集(筑摩文庫)八木重吉文学アルバム(筑摩書房)詩人八木重吉(田中清光・麦書房)琴はしずかに(吉野登美子・弥生書房)