友人たちの旅日記 Ani
   イタリア・ラヴェンナ

  


画面中央、多くの従者を従え、宝冠を頭に戴き、美しく着飾った紫衣の女性。これがビザンティン帝
国皇帝ユスティアヌス(在位527〜565)の
皇妃テオドラです。
高貴で気品ある雰囲気を漂わせた肖像を見て、
彼女がかつていかがわしい踊り子だったなどとだれが想像するでしょうか。
この6世紀のモザイク画があるのは、アドリア海に面したイタリアの町ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂です。
向かい合った壁には夫のユスティアヌス帝の姿もあります。



サン・ヴィターレ聖堂は初期キリスト時代の聖堂建築を代表する建物。
八角形を二層に重ねた集中式の建築プランを持ち、外観は煉瓦造りの地味なものですが、
内部は豪華なモザイクによって装飾され、その素晴らしさには息を呑むものがあります。
後陣下方のパネルには左側に皇帝ユスティアヌスとその廷臣たち、
右側に皇妃テオドラと従者たちのモザイクが、ビザンティン美術独自の
明快で力強い様式で描かれています。

2002年の6月初め、このラヴェンナを再訪する機会を得ました。
最初が1986年夏ですから16年ぶりの再会です。
今回はウルビーノに宿をとって日帰りで往復するというあわただしい観光でしたが、この
地に宿泊した最初の時より、十分な時間に恵まれて、彼女の前の立つことができたのは幸せでした。

西ローマ帝国の首都
ラヴェンナは、今では静かな落ち着いた地方都市にすぎませんが、
かつては西ローマ帝国の首都としての栄光に輝いたこともある町です。
その歴史を今に伝えるのが、サン・ヴィターレ聖堂やガッラ・プラキディア霊廟、
サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂などに残るビザンティンのモザイクです。

これらは、トルコ・イスタンブール(かつてのコンスタンチノープル)やギリシャにあったモザイク
の大半が8世紀から9世紀にかけてビザンティン帝国で起きたイコノクラスム(偶像破壊運動)や、
のちに支配者となったイスラム教徒の手で破壊され失われた今は、
世界でも最も貴重な初期ビザンチン美術の遺産の一つです。

ガラス片で描かれたモザイクが生み出す光のきらめきや微妙な陰翳の美しさ。
ことに金をふんだんに使ったこのモザイク画を見ていると、10世紀にわたって繁栄を誇った
ビザンティン帝国の宮廷の栄華までが蘇ってくるような気さえします。

皇妃テオドラがどこで生まれたかは不明です。
シリアともコンスタンチノープルともいわれ、父はヒッポドロームという一種の歓楽地にあるサーカスの熊の番人でした。
美貌の少女は、盛り場の享楽的で気ままな環境の中で育ち、やがて自分も踊り子(女優)になっていったのでしょう。
古代ローマ帝政末期の「パンとサーカス」の雰囲気はこの時代も残っていて、
市内にはいくつかの大劇場があり、そんな舞台に立っていたテオドラを、
第一皇位継承者だったユスティアヌスが見初めたのが、皇妃への第一歩だったようです。

踊り子から王妃に

しかし、これは当時としても大スキャンダルでした。
しかも法律(テオドシウス法典)は、元老院議員の身分を持つ皇族・貴族は、
踊り子や女優と結婚することを禁止していたのです。
というのも古典劇の大女優はともかく、多くの踊り子や女優は最下層の出身で、
しかも娼婦を兼ねているという社会的背景があったからです。
テオドラもそうした踊り子たちの一人であり、その奔放さは評判であったとも伝えられています。
しかし、彼女は美貌に加えて、教養や才気ある会話の持ち主でもあったことが、
ユスティアヌスの心をとらえたのでしょう。伯父の皇帝を説得して特例をかちとります。

結婚は523年頃と推定されますが、テオドラは当時、夫より17歳年下の23歳でした。
その4年後に、ユスティアヌスは帝位を継承、聖ソフィア大聖堂で即位し、
テオドラも同時に共同統治者、紫衣の皇后となったのです。
結婚後のテオドラは、宮廷にやってくる芸術家や学者らを集めて華やかなサロンを開き、
パーティーや行楽を楽しむといったことはあっても、皇帝の貞淑な妻として務めを果しました。
そればかりか、532年に新たな皇帝を擁立しようとするクーデターが起きた時には、
皇位を捨てて亡命しようとした夫ユスティアヌスを叱咤して
「私は逃げ出すくらいなら、ここで皇妃として死ぬ名誉を選びます」といいきって、
ユスティアヌスを叛徒に立ち向かわせ、帝国の危機を救った逸話は有名です。
このほか、夫に売春の取り締まりの強化を進言したり、身銭を切って遊女の借金の肩代わりを
してやったり、売春婦の更生施設に莫大な助成金を出すなど、彼女ならではの仕事もしています。

神秘的な聖堂のモザイク
サン・ヴィターレ聖堂のモザイク画は、テオドラの死の前年に完成したものですが、
橋口倫介著『中世のコンスタンチノープル』(講談社学術文庫)は、
「単なる容姿の美しさよりは知性、意志、情念において高度に洗練された表情の
気品を表現し得ており、後半生の安定した高い評価を集約しているように思われる」
と述べています。

ラヴェンナになぜビザンティン帝国(東ローマ帝国)の皇帝夫妻の肖像が…と、
あるいは疑問に思われる人もあるかもしれません。
それは、ユスティアヌス帝が、イタリア半島に侵入し支配していたゲルマンの東ゴート族から、
553年にイタリアを奪い返して統治、ラヴェンナに総督府をおいて、繁栄をみていたからです。

サン・ヴィターレ聖堂のモザイクは今もその美しさをいささかも失ってはいません。
しかし、当時、暗い堂内のロウソクのわずかな光を反射して、きらきらと輝いていたさまを想像すると、
それが今日のように明るいライトの下で見るより、
どんなに神秘的な美しさに満ちたものだったかを思わずにはいられません。

午後の光が傾き始めるまで、小一時間近くも私は堂内にたたずんでいたでしょうか。
別れる時が来てもなお、立ち去りがたい思いを拭うことはできませんでした。

*橋口倫介『中世のコンスタンチノープル』、宮下孝晴『イタリア美術鑑賞紀行』などを参考にしました。


(棚橋 弘)

Hiroshi Tanahashi htana@ops.dti.ne.jp


関連ページ アイルランドギリシャイタリアの美術