エジプトの旅 @
砂嵐の前に、エジプトに行ってきました。かねてから行ってみたい国の一つでした。暮れに会ったエジプト学者の話に刺激されていっきに旅立ちました。砂漠の中の遺跡を見て歩いて、これは文化でなく「文明」なんだと思うようになりました。騒然とした町の中で、アラーの神とおつきあいしながら暮らす人々の姿に文化を感じてました。


□ 縄文人が竪穴で暮らしてた頃

 やっぱりエジプトというとピラミッドから始めなければならないようです。正直、ギザのピラミッドが最古のものだと思いこんでいました。そうじゃないんですね。紀元前3000年頃に当時の都、サッカラーに階段状のピラミッド造られていたのです。ギザの400年ほど前、日本ではまだ縄文人たちが縦穴住居で暮らしていた頃なんです。王が死後に太陽神に近づけるようにと階段状で天に向けたピラミッドだったんです。

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□ 縄文後期、「貝塚」ができた頃

 紀元前1550年頃 エジプトの都は南のテーベ(ルクソール)に移りました。王だけが神に近づけるのではなく、だれでも祈れば神に近づけるという時代になって、王たちはピラミッドの代わりに神を招く神殿や死後も安住できる墓造りに力をいれるようになりました。荒涼とした岩山にある「王家の谷」もハトシエプスト女王葬祭殿、ナイルをはさんで建つカルミック神殿、ルクソール神殿もこの時代に造営されました。あの石の大円柱をどう運び、立ち上げたのだろうか。さらに南のアスワンで石切場の跡がのこってました。ここで切り出された石柱は洪水で水かさを増したナイルで運ばれ、砂漠の砂を積み上げ、崩して、立ち上げたというのです。「母なるナイル」がわかるような気になりました。


明治建築をおもわせるハトシェプスト葬祭殿

左上から ダムづくりで移築され
たアブシンベル神殿 大列柱が
並ぶルクソール神殿 イシス神殿
カルナック神殿、テロで日本人も
犠牲になったハトシエプスト葬祭殿


エジプトの旅 A

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