くもりのち晴

  骨折に泣いた100日
   
骨折治療体験記

 たかが骨折で-と正直なところ、わたしもそう思っていました。しかし実際に体験してみるとこれが厄介なことなんです。たとえ片足でも、足を奪われた生活がどんなに大変なことか,しっかりと思いしらされました。 車椅子の人からは、今更なにを、といわれるでしょう。健常者のぜいたくなぼやきかもしれません。まあ聞いてください。
                   
しびれた足

事故は一瞬のことでした。

 1998年暮れの20日、昼下がりの自宅近く。飛び出してきたネコを避けるのにバイクの急ブレーキをかけた。とたんに転倒、左足首がバイクの下敷きになった。不思議と下敷きになった左足に痛みがない。ただじんじんとしびれる。しばらくすれば しびれはなくなるだろう、とふっと思う。
 足の指先も動く。ひょっとすると捻挫かもしれない、と自己診断してみた。しかし立ちあがれない。やっとのことで足の上のバイクを移動させた。 携帯電話で自宅に連絡して、迎えの車で帰り着いた。
 湿布をしてもらったが、しびれは続く。みるみるうちに足首が棒状になってきた。つま先立ちも出来なくなった。きょうは日曜日 病院も休診のはず。安静にしておれば・・・。

 片足でケンケンしながら翌朝、日本医大多摩永山病院(写真)に駆け込んだ。
レントゲンは無惨な足の骨を写し出した。足の骨の一部が割けた格好になっている。骨折とはポキンと折れるものと思いこんでいただけに、ちょっと意外だ。
 肥沼正明医局長の診断は「左足関節脱臼骨折」、「全治4ヶ月」。青黒く膨れ上がった左足はまるで他人の足だ。即入院、手術が決まった。

 入院を一日、延ばして貰った。
 年末・年始号の編集、依頼原稿の手配もしなきゃ。「足は絶対につかない。足をなるべく上に上げる」という条件がついた。徹夜の仕事、いつのまにか足は床についていた。「こんな腫れじゃ年内の手術はできないかもしれないね」と先生。

もうバイクなんて

 入院して驚いたのはバイクによるけが人が多いことだった。
6人部屋の3人がバイク事故による骨折。膝頭を痛めた中年のダイバー氏は、半年間の入院生活でやっと松葉杖にこぎつけ、形成外科のある病院に移った。
60代の豆腐屋さんはトラックを避けて橋のフエンスに激突、ひざこぞうが割れた。もう1ヶ月もベットの上でいまだに身動きがとれない。
 比較的,軽傷のアキレス腱氏が退院して、そのベットに入院してきた大学生はやはりバイク事故。一週間後に卒業試験を控えているという。足を牽引しながら「マジかよ、歩けるのは半年先だって」とわめく。「もうバイクなんてこりごりだ」と茶髪の見舞客に話していた。

 ギブスで固定、ベットで足をあげる日常には まいりました。
腫れがひどいと手術は来年回し、といわれて我慢が続く。入院4日目、なんとか年内に手術が決まった。

Dr Hinuma

 手術は、全身麻酔、だから痛みは感じない。
医師と看護婦さんののんびりした会話が子守歌のよう。いつか眠りについていた。目覚めると病室のベットの上だった。麻酔による鈍痛が続く、ときどき ちりちりと痛みが走る。足には固定の金具が入り、ボルトでしっかり止められているという。
それでも2日目からは車椅子でトイレにも行けるようになった。

尺取り虫の歩み

 1週間で松葉杖をついて外泊OK、正月は自宅で過ごした。尺取り虫のような動き。そうそうに病院に戻った。連日、松葉杖での階段の昇降訓練が続く。

 2週間たって抜糸、同時に退院の許可がでた。ただ足の着地はだめ、出来れば足は心臓より上に、と注意された。弓なりに寝ているのがいいらしい。

 二階の書斎には手すりを伝って上る。下りは尻をおろして降りる。玄関先の新聞も取れない。一本足では風呂にはいるのも至難の技だ。さて大地震でもあればどうなるんだろう、不安になる

 退院20日後にやっとギブスが下半分になった。
 さらに2週間後、ギブスがはずされ、着地OKが出た。なんと安定していることか。二本足の有難みがわかる。しかし、ふくらはぎはペシャンコ、ギブスの跡が黒ずんでいる。公園のやわらかい陽射しの中を松葉杖をたよりに歩く。

 2週間刻みで、片松葉杖になり、やがて家の中では松葉杖抜きになった。
次の診察時には松葉杖一本に、医師の予告通りに段階が進んだ。外出も松葉杖無しになり、自立できたのは あの手術から3ヶ月 経っていた。

まるでゾウの足

 100日たった3月29日、都心の勤め先に顔をだした。
駅の上り階段は苦にならないが、下りの階段がつらい。足首が十分まがらないので踊るように歩く。しかもふくらはぎがはり、大腿部の筋肉が固くなるのがわかる。松葉杖が恋しい。風呂で正座、足首の屈伸が、自宅療法だ。

 そんなある日、高校時代の友人の顔をテレビで見た。
筏義人京大教授。いまや再生医学の第一人者だという。あまり縁がない学問分野だと思っていたのが、骨折治療の金具を骨になじませるのも彼の研究分野と聞いてにわかに関心をもつようになった。
私の金具は、一年後に取り出すことになる。

 4ヶ月たった4月20日、ひさしぶりの診察。
足の膨らみは相変わらず。「まだゾウの足だね」と先生。びっこをひきながら歩く。
 5ヶ月に入った、足首の膨らみは相変わらず。靴下の縫い目がくっきり刻印される。それでも歩行はずいぶんと楽になった。 階段の歩行は苦にならない。長時間、電車内で立っていると足がしびれる。時たま屈伸運動をさせる。さあ、もう一息だ。

 ケガをして半年たった5月21日診察。
「足首は大分まがるようになったね。骨のつきもいいね。7分というところかな、これから100%にするには時間がかかりますよ。もちろん普通に歩いて結構、走っても大丈夫だよ。このむくみは当分、とれないね。金具の除去は10ヶ月ぐらいたてば大丈夫でしょう」

犬も歩けば

 社内を歩いていると、総務局の保険担当に呼び止められた。
「事故にあったんですって。あなたの自動車保険にバイク特約がついてたはずよ。みておいてあげる」。自損事故にも保険金がでることがわかった。その保険金をパソコンの資金の一部にしようと密かにたくらんだ。

 ケガをしてから7ヶ月。
 気のせいか、梅雨に入って金具の入ったくるぶしの周辺で時々、ぴりぴりと痛みが走る。つかれると足に浮腫ができる。そんな足をひきずって山形県の羽黒山に取材に出かけた。「なに私がついてるから」と山男のカメラマンに励まされての取材行。2400段の羽黒山の石段歩きで、自信をつけた。むくんだ足も温泉での「正座」で快復を思わせる。

 困ったのは、羽黒山神社神殿での正座。神官の案内で本殿内の見学、神殿に座って神官から説明を聞くことになった。神殿と賽銭箱の空間、手を合わす参拝客の目前であぐらもかけない。「ちょっと足がー」といっても神官のありがたい縁起話は止まることがない。このしびれた足でどう立ち上がろうか、神殿ではそんなことばかり考えていた。

 8ヶ月後。
 羽黒神社の霊験あらたかというのでしょうか、足の調子が良くなってきた。ピリピリの痛みも無くなって、歩いていて怪我を忘れるようになった。ただ小走りは駄目、電車に乗るのにちょっと駆けてみた。走っているつもりが、いつのまにか急ぎ足にペースダウンしていた。
 足首はいぜん太めだが、歩くには不自由はない。ふだんは意識することもなくなった。診察してもらった。
 「きちんとついてます。そう金具もとれるね。いつにしますか」と主治医。縦10センチほどのプレートとそれをとめているねじ釘を取り除くことになる。

金具を抜く

 1999年11月、受傷後11ヶ月。足の金具を抜くことになった。
10センチほどの縦の金具と短い横の金具の2本で補強してきたのだが、「もう骨は大丈夫」と手術で抜き取ることになった。17日に入院、18日には手術、10日ほどで抜糸という手順。手術は約2時間、半身麻酔でいつの間にか終わった。一週間の入院、抜糸したところで歩いて退院した。  やっと終わった。

経過日数

治療と症状

,0

0

手術

5

階段の歩行訓練

16

抜糸

20

退院

1ヶ月

29

ギブスが半分に

38

足の着地OK

53

ギブス全廃

2ヶ月

64

松葉杖1本に

3ヶ月

95

松葉杖全廃

98

(出勤)

4ヶ月

「象の足だね」と主治医

5ヶ月

太い足、しびれ

6ヶ月

「回復は7分」と主治医

7ヶ月

2400段の石段歩く

8ヶ月

小走りができ、回復の診断

11ヶ月

金具を抜く手術