名作の舞台                                              □ 愛媛県・戸島 本文へジャンプ

海の鼠
吉村昭



冬の宇和海は青く澄んで凪いでいた。定期船は夕映えの海を滑るように走った。目指す戸島は宇和島市の沖合にY字型にのびた小さな島である。戦後間もない昭和二十四年、この島でとんでもない騒動がもちあがった。どこからともなくやってきた何十万匹ものネズミの大群に島が占められてしまったのである。

 よほどの騒ぎだったんだろう、このネズミ騒動をもとに吉村昭さんが「海の鼠」を発表、児童文学者の椋鳩十さんも「ネズミ島物語」を書きあげた。記録や関係者の話をもとにしたのだが、はびこるネズミの動きが活写され、ネズミ退治にいどむ人間たちの行動の空しさを改めて教えられる。筆者はちがっても二つの作品にはどこか相通じる心があった。

 「海の鼠」は、台風に襲われ遭難した島の漁師たちの悲しみの葬列から書き始められた。漁と、急な段々畑を耕す島の暮らし。三十八人もの働き手を突然失って島は重く沈んだ。そこに異常繁殖したネズミの大群が襲う。「鼠が湧きました」「浜を歩きますと、鼠を踏みしゃぎます」とうわずった声で訴える村長に「いずれにしろ書類にして出してもらわなきゃ」と県の課長は冷ややかにいう。

 「島のひとたちは段々畑の労働と水不足、さらに年々襲ってくる台風の風水害に堪えてきた。耐え忍ぶことは、かれらの習性であり、様々な障害を排して生きることを可能にしてきた。しかし、鼠の大群の襲来は、かれらを完全に萎縮させてしまった」。
 そんななかで一人の県職員がネズミ退治に立ち上がった。小説では「ネズミ係長」と言われる郡事務所の係長。金網式の鼠取り器を手に島にやってきた。大群に効果はない。パチンコ式の罠、竹罠の鼠取りが導入され、毒だんごも段々畑にまかれた。それをあざ笑うように太ったネズミは繁殖をつづけ六十万匹にも増えた。県内各地から猫が送り込まれ、あげくはアオダイショウも放たれた。しかし満腹になった猫は居眠りをはじめ、蛇は冬眠の季節をむかえる。猛毒性の薬剤が使うようになって島のネズミは少しづつだが居なくなったが、困ったことに野鳥や飼い犬、猫も犠牲になった。強い薬は自然環境も壊してしまうのだ。

 島に平和が戻ったのは七年後のことだった。群れをつくって瀬をわたるネズミを島の漁師たちが目撃した。しかしネズミを島から追い出したのは科学でも人の力でもなかった、とネズミ係長は思う。自然から奪い取った山の段々畑を再び自然に戻し、昔のようにススキの穂が山を埋め尽くすようになってネズミは姿を消してしまったのである。

 人口二千人の島に六十万匹ものネズミが棲みついた戸島は、いま六百八十人、養殖漁業が糧になる過疎の島になった。岩山を耕した段段畑の多くは、つるや雑木に覆われ、わずかに土止めの石積が残る。「いまはネズミも蛇も見なくなった。山を切り拓いたことへの自然の怒りだったんだろうか」と地元の自治会長立花政治さん。山の段々畑で年輩の夫婦に会った。「たしかに鼠はいないね。いまは野菜作りの天敵はカラスなんだよ」。わずかに残る山の畑は、すっぽりと漁網で覆われ、細々と自然と共存しているようにみえた。

よしむら・あきら 昭和2年(1927)、東京生まれ。学習院大学中退。1966年に「星への旅」(太宰治賞)で文壇に。芸術院会員。「戦艦武蔵」(菊池寛賞)「天狗争乱」(大佛次郎賞)「生麦事件」