名作の舞台                                            □ 岡山県吉備津 本文へジャンプ


雨月物語 吉備津の釜
上田秋成



 
 山あいにひらけた吉備の里。大昔には鬼が棲んだと伝えられ、鬼退治の「桃太郎」伝説もこの地がルーツだという。ここを舞台にした「吉備津の釜」は、人間くさく、どこかやりきれない、もう一つの鬼(怨霊)の話である。

 吉備の農家で育った正太郎は家業を嫌い、酒食におぼれる遊び人。神官の娘だった妻の磯良をあざむき、騙してはばからない。恨んで死んだ磯良はやがて怨霊になって正太郎を苦しめ、殺して怨念をはらす。

 話の伏線になっているのが岡山市の吉備津神社に伝わるお釜祓の神事だ。沸かした湯が立てる蒸気の音で吉凶を占い、「吉祥には釜の鳴音牛の吼ゆるが如し。凶きは釜に音なし」と判断する。娘の結婚をひかえた磯良の実家でもこの御釜祓がおこなわれた。しかし釜はことりとも音をたてない。この結婚は凶と出たのだ。

 結婚はしたものの新婚生活は長続きしない。正太郎は遊女の袖を身請け、別宅にいりびたる。それでも磯良は夫に優しく仕え、袖にもこっそり物を届ける。正太郎たちは、袖の哀れな身の上話で同情をさそい、磯良が着物を売り、実家の母に嘘をついて工面した金を手に駆け落ちしてしまうのである。

 物語の冒頭で秋成は重々しく教訓をたれた。「妬婦の養ひがたき」と嫉妬深い女ほど手におえないものはないと言い、「妻を御するのは夫の男性的な理念にある」という。しかし封建時代を映してか女性に忍従を説き「女性の存在の哀しさを深く描いた物語」(長島弘明・東大助教授)として書かれた。

 御釜祓での「凶」は次第に現実のものになってきた。磯良は恨みつつ死に、播磨国の縁者宅に身を寄せた袖も悶死する。ある日、正太郎は墓地で会った女性に茅葺き家に案内された。そこにいたのは残してきた磯良だった。「顔の色いと青ざめて、たゆき眼すざまじく、我を指したる手の青くほそりたる恐ろしさ」。

 陰陽師に見てもらうと、この亡霊は七日前に死んだ女だという。死の直前に生霊となって袖の命を奪い、なお恨みは尽きず、亡霊となって正太郎の命をねらっているというのだ。「亡霊がさまよう四十二日間、戸を閉じ物忌みしなさい」。陰陽師はそういって全身に墨で魔除けの文字を書きつけた。 「吉備津の釜」は雨月物語の中でも怪異な作品とされる。中国の古典や源氏物語などからもヒントを得ながら、古典の表現を超えた作品といわれる。

 怨霊の恨めしげな声にふるえるうちに四十二日目の夜が明けた。隣に住む彦六と示し合わせて外に出ることにした。そのとき、彦六は隣で悲鳴を聞いた。飛び出すと明けたはずがまだ暗い夜。「戸腋の壁に腥々しき血濯ぎ流れて地につたふ。されど屍も骨も見えず。月明かりに見れば、軒の端に物あり。男の髪の髻ばかりかかりて、外には露ばかりのものもなし」。御釜祓での悪い兆しがそのとおりになってしまったのである。

 すすけて黒光りする御釜殿の中で鉄釜がブオ−と低い音をたてた。御釜拭の神事はいまも続いていた。「占うというより音は神のご託宣、音の大小や響きを自分の心で聞き分けてもらうんです」。「阿曽女」とよばれる巫女さんがなれた口調で話してくれた。吉凶の判断もいまふうに変わっていた。

うえだ・あきなり 享保19(1734)〜文化6(1809)大阪・曽根崎で生れ、江戸時代の中期に活動した作家、国学者。「雨月物語」(1776年刊)の他に小説「春雨物語」、随筆集「肝大小心録」など。