名作の舞台                                             □ 山形県酒田市 本文へジャンプ

砂の女
安部公房


 庄内砂丘は砂の台地を背にしておだやかにひろがっていた。「んだんども冬なぞ砂吹いて荒れんなよ」。地元の人はこの静けさは浜の虚りの姿だという。冬の飛砂は浜辺に砂の台地を築いていた。踏み込むと靴がめり込み、砂がなだれる。砂は生きているようにみえた。

 旧満州の黄砂と半砂漠のなかで育った安部は、砂や砂漠をモチーフにした作品を好んで書いてきた。砂漠の風景はしばしば破壊と創造を繰り返す都会の暮らしに写しかえられた。「砂の女」もまた都市砂漠に埋もれた孤独な男を描いた現代の寓話である。

 抽象世界を描く安部の作品では当然、人や舞台も抽象化される。しかし「砂の女」については、珍しく庄内砂丘が舞台であったと書いている。青森に向かう列車内で安部は、週刊誌のグラビアにひきつけられたという。「それは飛砂の被害に苦しめられている山形県の酒田市に近いある海辺の部落の写真だった。砂が海に向かってせり上がり、家々はしだいに砂の中に沈んでしまう。それに食卓の上に傘をつるして食物を砂から守っている、滑稽なほどの生々しく、痛切な風景」(「舞台再訪・砂の女」・1968年)。「砂の女」の構想は安部のなかで発酵され、あとはきっかけを待つばかりになっていたという。

 「砂の女」の主人公は、都会に住む平凡な中学教師である。「義務の煩わしさと無為からほんのいっとき逃れるために」砂丘のある集落に昆虫採集に出かけた。迷い込んで泊ることになったのが砂の穴の中にある女性が一人暮す家だった。その家は、毎日、砂をかきださなければ砂にうずもれてしまう。たった一つ、外界との連絡手段になっていた縄ばしごが取り払われたことで、男は砂を運びあげる労働力として連れこまれたのだと知る。 夜になって砂をかき出す作業をはじめた。脱出の手だてを探り、砂の壁に挑んだ。なんとも空しい作業だが、外界での日常の暮らしとさして変わってはいない…。そう思うと目の前が開けるのだった。

 小説の舞台になった酒田市浜中は、庄内空港に近い世帯数500ほどの小さな集落だ。松林に囲われた一帯は白い砂地。重そうな屋根瓦の家とメロン栽培のビニールハウスの中の道を浜に向かうと大きなくぼ地にでた。「傘をつるした写真を撮った家はここにあったんだよ。傘はヤラセだったが、家の中まで砂が降ってきたのは事実だった。当時は一夜で壁ができるほど飛砂の勢いはすごかった」と浜中公民館長の成澤紘悠さん(60)は話してくれた。

 男はある日、砂穴の中に「溜水装置」をつくることを思いついた。砂の毛細管現象を利用して水が確保できる。「依然として穴の底であることには変わりがないのに高い塔の上にのぼったような気分」になった。単調な繰り返しの中で新しい可能性をみつけたのだ。縄ばしごがかけられ、自由になったとき男はまた穴に戻っていくかもしれない。
安部はこの小説で絶望的な不条理の世界を砂に託して描いた。砂漠のような都会を逃れたはずの男がたどりついた先はアリ地獄のような世界だった。そこでもがく男の姿に現代が映る。
 集落を囲う防風林のクロマツが大きく育って、飛砂の被害も減った。白い砂地はメロンの格好の栽培地になった。砂の村の人たちも長い砂との戦いのなかで、新しい可能性をみつけだしていた。

あべ・こうぼう 1924(大正13)−1993(平成5)。東京生まれ、東大医学部卒業と同時に作家活動に。昭和26年、「壁−Sカルマ氏の犯罪」で芥川賞。昭和37年、「砂の女」で読売文学賞昭和54年から「阿部公房スタジオ」を率いて独自の演劇活動を展開してきた。