名作の舞台                                                     □ 神戸市 本文へジャンプ


蒼 氓
石川達三



 戦前から戦後にかけて二十万人もの南米移民を送り出した旧神戸移民収容所。その建物がそっくり神戸・山の手の高台に残っていた。もう七十余年、阪神大震災にも耐えたが、古びた五階建ては取り壊すか保存かで揺れている。

 第一回芥川賞の受賞作になった石川達三の『蒼氓』は、ここが舞台になった。神戸港から旅立つ家族連れはいったんこの施設に移って、日本での最後の8日間を過ごした。ほとんどは故郷をすてた農民たち。期待と不安に揺れる思いを抱き、語り合い、やけ気味にふるさとの民謡を唄う。

 <1930年3月8日。神戸港は雨である。…三ノ宮駅から山ノ手に向かう赤土の坂道はどろどろのぬかるみである。この道を朝早くから幾台となく自動車がかけ上がって行く。この道が丘につきあたって行き詰まったところに黄色い無装飾の大きなビルディングが建つている。是が「国立海外移民収容所」である>

 二十四歳の石川は「若気の至り」から、家族移民ならぬ単独移民として、九百五十人の移民団にまじってブラジルに渡った。目にしたその人たちの生活は厳しくも悲しい。「私はこれまでにこんなに巨大な日本の現実を目にしたことはなかった。そしてこの衝撃を、私は書かねばならぬと思った」。石川は後日『出世作のころ』で述懐している。

 <彼等のみならず殆どの全部の移民が希望をもっていた。それは貧乏と苦闘とに疲れた後の少しく捨て鉢な色をおびていた、それだけに向こう見ずな希望であった。最初この収容所に集まってきたときは、風の吹き溜まりにかさかさと散り集まってきた落葉の様な寂しさと不安に沈黙してきたが、日を啄うて海外雄飛の先駆者、無限の沃野の開拓者のように幻想するようになったのである>

 石川はこの小説で、貧しい暮らしのなかで、希望を見い出そうとする素朴な日本人を描いた。恋しい人に後ろ髪をひかれながらも弟にしたがっていく佐藤夏、「徴兵逃れ」という非難に身をひそめる弟の孫市。二人の主人公を含めた移民たちの多くは、事実上、日本から切り捨てられた「棄民」だった。だけど、うらみごとは聞こえてこない。

 移民を送り出した建物は神戸の山の手になじんでいた。昭和四十六年に移民業務が終わって神戸市に移管され市の看護学院となり、つい最近までは神戸海洋気象台の仮庁舎だった。船室を模した低い天井、むき出しの配管は建設当時のまま。外壁をはうつたが時代を感じさせる。

 出港の朝、移民の人々は靴ずれの痛みをこらえ、鍋や釜を手に港に向けて歩いた。突堤までの道は三ノ宮の繁華街を抜ける二キロ。坂道をくだると見え隠れしていた海は、ビルにさえぎられた。コンテナ貨物を積み下ろしする第三突堤が当時の乗船地だった。小学生たちが小旗をうち振り、歌って移民見送った埠頭。いまは釣り人がのんびり糸をたれていた。

 「移民館は神戸の歴史を語る生き証人、日本の近代史を語る証人ですよ。だから残したいんです」と案内してくれた神戸市国際部長、楠本利夫さんは力をこめた。しかし震災による市の財政危機を救うため売却話も出た。玄関脇の「ブラジル移民発祥の地」の記念碑がわずかにこの地を教えてくれる。さきごろブラジルの在留邦人会から記念館として保存してほしいとの陳情が神戸市に寄せられた。
   

 いしかわ・たつぞう 1905ー1985 秋田県横手市生まれ。早大英文科を中退、雑誌記者を経て作家活動に。昭和10年『蒼茫』で第1回芥川賞を受賞。

☆ メモ 移民の歴史は神戸からはじまった。移民収容所の地下にはマンモスボイラーが置かれている。炊事に風呂にフル活動したのだろう。いまは赤くさび付いている。