名作の舞台                                              □ 静岡県・湯ケ島 本文へジャンプ

しろばんば
井上靖




 晩秋から初冬にかけて、シロバンバはどこからともなくやってくる。夕暮れの空に綿屑のように浮遊する小さな生き物たち、シロバンバはいまも山間の湯の町に冬を告げて消える。

 井上は、シロバンバがとぶ伊豆湯ヶ島で、六歳から小学校六年生まですごした。軍医の父が転勤しがちなこともあって、親元を離れ、曾祖父の愛人、おかの婆さんとふたり、本家に近い土蔵で暮らした。「しろばんば」は、この少年期の特異な生活を抒情ゆたかに描いた自伝小説である。

 自伝だけにそれほど面白い展開があるわけではない。初めての旅、神かくし騒動、祖母の死、馬車に代わってバスが走る。さまざまな出来事や出会いが、少年の心に刻みこまれ、成長するさまが読める。井上は、中伊豆のゆたかな自然や風土を写しながら、この作品で、精神形成の跡をたしかめた。「ぼくの代表作は『しろばんば』、文学者としての根源的なものは湯ヶ島というあの田舎で醸し出された」と後年、述懐している。

 主人公の耕作はどこか孤独でさびしい子だった。おかの婆さん、本家の祖父母たち、それに遠く離れて住む両親、それぞれの愛情にくるまれるが、寄りかかれないもどかしさに沈みがちだ。そんな折、先生になった叔母のさき子に母のような親しみを感じる。しかし、さき子は同僚教師の子を産み、ひっそり下田に去り、病死する。葬儀の日、子供たちは悲しみをこらえて天城トンネルに向かう。珍しく、その先頭を耕作が走っていた。あまりにも悲しい出来事だった。

 わさび農家が主だった静かな山村は温泉旅館の町になった。下田街道を外れた旧街道ぞい、垣根と庭木に囲われた空き地がかっての井上邸。その後、一段高いところに土蔵の跡があった。敷石は花壇の土どめになっている。土蔵の二階から見えたはずの富士山は二階建ての民家にさえぎられた。すぐ近くが母親の実家「上の家」、ナマコ壁の二階屋はそのまま残っていた。

 「しろばんば」で、いじめに勇ましく立ち向かっていく少年がいた。学校の成績も耕作を抜いてトップの浅井光一。とうてい敵わないと悟って耕作の目がひらく。モデルとされた足立芳郎さんは九十二歳、いまも旧道ぞいに住む。「成績一番、そんなこともあったということです。井上先生はおとなしい、優しい少年でした。六年生の時、転校がきまって、残るおばちゃんが心配で、悩んでいた姿が思いうかびます」と話す。

 この地を去った井上さんは、年に一度は湯ヶ島に戻ってきた。狩野川ぞい旅館「白壁荘」を定宿に。いろりのある古い造り、土蔵の生活を思わせる部屋=写真=に、昔の仲間を招いて飲んだ。「湯ヶ島ではほとんど執筆されてません。ここは心休まるいやしの場、思い出を大事にされていたんでしょうね」と旅館の主人、宇田治由さんはいう。

 冬の夕べ、街道にそった町並みや温泉宿のある谷あいにメロディが流れた。町が広く募集した「しろばんば」の曲。瀬音にとぎれ、とぎれで聞こえてきた。
 

いのうえ・やすし 1907ー1991、旭川市生れ、京大哲学科卒、毎日新聞記者を経て作家に。昭和24年「闘牛」で芥川賞。「しろばんば」は昭和35年に婦人倶楽部に連載。

☆ メモ まだ3時だというのに陰ってきた。取り囲む山々が太陽を遮る。師走の寒い日、「きょうはシロバンバがでるかもしれない」といわれて待った。空振りだった