名作の舞台                                              □ 三重県松阪市 本文へジャンプ


城のある町にて
梶井基次郎




 研ぎ澄ました神経で事象を見つめ、重厚に写しとる梶井の作品のなかにあって、この「城のある町にて」は単純で、明るく、健康的に読める作品だ。病気や死を直接、意識することもなく、ごくふつうの暮らしのなかに身を置き、一文字、一文字を紡ぐようにして書かれた一冊である。読み進むうちに梶井のもうひとつの顔がうかんできた。

  梶井は東大に進学した大正十三年の夏、姉夫婦が住む伊勢の松阪におよそ一か月滞在する。軽い結核を患い、その療養と四歳で亡くした妹への思いをいやすための転地静養だった。心病む日々。いつのまにか宮田汎家の暮らしに浸り、町の人たちとのふれあいで「珍しく静かな心持ち」を取り戻すことになる。

 一年後に東京の下宿で、この思い出を短編にして同人誌に発表した。仲間の詩人三好達治が、この短編は梶井の代表作だと言うほどの巧みな作品になった。  

 <今、空は悲しいまでに晴れていた。そしてその下に町は甍を並べていた。白亜の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そして其処此処、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出ている。ある家の裏には芭蕉の葉がたれている。遠くに赤いポストが見える…>。梶井は、城のある町をこんなふうに書いた。 

 梅雨の晴れ間をぬって城跡に登ってみた。丸い自然石を並べた石段は歩きづらい。せりだした石垣を三周りして櫓跡の台地に立つとすぐ足下から町並みがひろがった。古い城下町そのままに、二階建ての屋根瓦が黒いモザイク模様を描く。その向こう、商店街の屋根の合間にどんと寺の大屋根がのぞく。なま暖かい風が吹いた。また雨かな、犬を連れた母子が、石段をかけおりた。城跡はいまも町の人たちの憩いの場でありつづけていた。

 梶井が滞在した姉の嫁ぎ先の宮田さんの旧宅は、城の搦め手門のすぐそば、歩いて5分ほどのところにある長屋づくりのうちの一軒だった。裏手からは城の石垣が見上げられる。その城は秀吉の時代に築城、城主は三代七十余年住んだが、紀州藩に吸収されて城主は不在に。その間に天守閣も台風で倒壊したという。城主が居なくて、天守閣がない城は、威圧の象徴ではなく町民文化のシンボルとして親しまれてきた。そんな城のありようが梶井の心をひきつけたのだろうか。毎日のように城跡を歩いていたという。

  「この松阪でいやされたんでしょうね。澄みきった心だったからこそあれだけの精密な描写ができたんでしょう。風景はもちろん変わりました。でもその風情はいまも本から読めますね」。城内にある本居宣長記念館の高岡庸治館長はいう。作品には、城跡の草むらでバッタと遊ぶ子供の姿が生き生きと描かれた。「チュクチュク」「チュクチュクホーシ」と暇なしに鳴くつくつく法師に「文法の語尾の変化をやっているようだ」と聞き耳をたてる。精一杯に生きる動植物の姿に自身のこれからも重ねる。 

 なにげない市井の暮らしを描いた映画監督小津安二郎は松阪で育った。その小津さんが「この松阪で一本撮っておきたいね」と話していたという。その「一本」は、「城のある町にて」だった、と地元の人達はいまだに信じている。



かじい・もとじろう 1901−1932 大阪生まれ。東大英文科在学中に同人誌「青空」を創刊。「檸檬」「城のある町にて」「のんきな患者」などを発表。

☆ メモ 低い家並みのなかでひときわ高い建物は有名肉店だった。本居宣長の旧跡もいまは影がうすい。