名作の舞台                                               □ 三重県神島 本文へジャンプ


潮 騒
三島由紀夫


             


 伊勢湾口にぽつんと浮かんだ「神島」。
三島由紀夫は、ここを舞台に「潮騒」を書いた。「青白くって小柄、日中、校庭でじっと海をみているんです。療養にきた都会の青年のようでした」と島の元小学校長、山本佐一さん。並の地図にはない小さな島は、この青白い作家の感性で、浮き彫りにされた。

 鳥羽港とは一日四便の市営定期船で結ばれる。自転車を乗せ、米や野菜も運ぶ。学校帰りの女子高生たちと乗り合わせにぎやかに島の桟橋に着いた。陽当たりのいい南斜面、赤瓦、青瓦の屋根が重なるように見えた。庭や軒先を路地と石段が曲がりくねる。海風を阻んだ路地に生活の匂いがある。

 小説「潮騒」では、この島は「歌島」と名を変えた。若い漁師の新治が、養子先から戻された網元の娘初江と会ったのが島の浜。山の「監的硝」は嵐の夜、二人が焚き火を挟んで裸で向き合った場所だ.。しかし有力者の息子安夫が横やりをいれ、初江の父照吉も二人の仲を裂く。照吉は若者たちを試すのに持ち船に乗りこませる。台風の沖縄で大波から船を救ったのは新治だった。晴れて婚約、詣でた八代神社、海の遠くをながめた灯台はいまも島の名所だ。

 三島の作品としては珍しく血も肉の騒ぎもない。ギリシャの旅から帰って間もなく、神島の自然と暮らしのなか、幸せな恋の物語が生まれた。ギリシャの小説「ダフニスとクロエー」に筋書きを借りているがそれ以上に清廉な小説だとされる。しかし三島は予想外な反応をする。<『潮騒』の通俗的成功と通俗的な受け入れ方は、私にまた冷や水を浴びせる結果になり、その後のギリシャ熱がだんだんさめるキッカケにもなった>(『私の遍歴時代』)。世評に背を向けた自己評価だが、三島一流の照れだったといえなくもない。

 陽のあるうちにと灯台へと急ぐ。山の中腹にある大鳥居をくぐると急勾配の二百段の石段が見上げられた。八代神社の裏手にある女坂に出ると伊勢湾の風と波音が響く。暗闇のなか新治が魚を手に急いだ灯台長宅は意外に遠い。 白い灯台はいまは無人、伊良湖水道にはりだした崖の上の信号所では湾岸の港に急ぐ大型船の監視が続いていた。

 山道をたどると、「監的哨」が草むらの中、コンクリートをむき出しにしていた。戦時中、伊良湖岬で撃つ試射弾の着弾地点を見極めた旧陸軍の物見台。五回の映画化で、青山京子、吉永小百合がここで出会いを演じた。窓枠もない廃墟の天井には恋の成就を願った恋人たちのマジック書きが読めた。

 三島はこの作品を書くのに二度、島を訪れた。助け合う共同体の素朴な暮らし、都会育ちの三島にはとても新鮮にみえたのだろう。川端康成にこんな手紙を書いた。「目下、神島という一孤島に来ております。映画館もパチンコ屋も呑み屋も、喫茶店も、すべて『よごれた』ものはなにもありません。この僕まで浄化されてー。ここには本当の人間の生活がありそうです」(『三島由紀夫書簡集』)。

 島には水道が敷設され、浜では発電所が稼働する。周囲四キロの島に人口六百人。二百二十世帯のほとんどが漁業で生計をたてる。島の朝はタッタツと家並みをぬう坂道を浜に急ぐ漁師たちの足音で明ける。島の漁業は元気だ。「昨年1人、ことし4人の高校卒の若手が専業になった。活気がでてきた」と漁協専務の岩田さん。

 「潮騒」はひき潮とあげ潮の間に聞かれる波音だという。タポタポ 夏の浜でこんな自然の囁きが聞かれる。激した作品を書く三島にとって小説「潮騒」は、束の間の「しおざい」だったのだろうか。
                           

みしま・ゆきお 1925−1970 東京生まれ、東大卒、大蔵省に9ヶ月勤めた退職、作家活動に。「潮騒」は昭和29年の第一回新潮社文学賞。「金閣寺」「豊饒の海」など 

  ☆ メモ 島をナンバーのない外車が走っていた。交番のないこの島では無登録の車が多い。とはいっても走れる道は港に面した一本だけ。