名作の舞台                                           □ 福岡県・志賀島 本文へジャンプ


志賀島
岡松和男



 車を運転して島に向かった。市街地の家並みが途絶えると茜色の夕陽が窓をおおつた。まっかな光の向こうに黒く島影がうかぶ。玄界灘につきだした志賀島は落日のひかりのなかで神秘の島を装っていた。

 志賀島は博多ふ頭から望める陸続きの島である。ふ頭近くの博多の町で少年時代を過ごした岡松もこの島をみながら育った。戦争末期から敗戦後にかけての混乱期、博多の町もまた波打っていた。そこに展開する市井の人たちのドラマを、少年の目を通して描いてみせた。

 博多の下町に住む宏と竹元はともに国民学校六年生。国語や算数が得意な宏、大柄な竹元は相撲が得意で相撲取りにあこがれる。お互い父親を早く失い、母親同士が顔見知りとあってウマの合う仲間だった。ある年の夏、ふたりは志賀島での海軍の海洋訓練に参加する。訓練の最終日、代表で伝馬船をこぎ出した竹元が高波を受けて海中に投げ出される。櫓の綱を手に巻き付け漂流して助かる。海軍の櫓を最後まで失うまいとした愛国少年と称えられるが、竹元は右目を失明して相撲取りへの夢はくだかれた。

 宏たちがかけめぐった舞台は博多駅に近い商店街だった。戦火に焼かれて学校だけはぽつりと残った。その学校も博多小学校と名称を変え、いま新しい校舎がつくられていた。広くない町の通りに問屋さんが立ち並んでいるが子供たちの姿はない。

 国民学校を卒業した2人は学校と漁師と別々の人生を歩む。漁師の竹元の舟は軍に徴用された。徴用船として操船中に米軍機の銃撃を受け、竹元は左目も失明する。不安定な生活にさらに悲劇が襲う。宏の母は敗戦のショックで自殺、飲み屋をやっていた竹元の母親は、暴行されたうえで絞殺されてしまう。 岡松は自分の母親の死に戦争をだぶらせた。

 「戦争」は身近な暮らしにも大きな陰を落とした。竹元が身を寄せた篠栗のお堂では老母が念仏を唱えていた。奥の院には若い人がひっそりと暮らしていた。戦時中、九州大学病院で行われた捕虜の生体解剖事件の責任者の母親と解剖に立ち会った若い将校だという。ひそんでいた若者は、ある日、ジープでやってきたMPに連れ去られた。

 小説にはどうしょうもない暗さがある。戦争が小説を覆っている。この小説の中で、二人の主人公は若い力で時代を切り開いていく、その姿にほっとさせられる。そして家をささえるおばあちゃんのぬくもりにすくわれる。

 「そう、いっそ若い二人の友情物語にしたほうがよかったんではという人もいた。だけど守る親たち、守られる子供たち、そんな関係が続いていまがある。そんなことを書いてみたかったんです」と岡松さんはいうのだ。

 <二人は船たまりの先端に歩いていった。そこからは博多湾が見えるはずだ。波が岸壁を洗い始める。今日は曇り日で海の白がよどんでいた。竹元は岸壁に刻まれた石段を下りると、打ち上げてくる水に手を触れた。「志賀島が見えるね、昔のままや」不意に竹元がいった。宏は黙ったままだった。>


 おかまつ・かずお 1931年、福岡生まれ。東大仏文、国文卒。「壁」で文学界新人賞、3年連続で芥川賞候補、昭和50年に「志賀島」で芥川賞。古典の評論も多い。

☆ メモ 金印を掘りだしたこの島は市街地から近い。玄界灘に沈む夕日がまたうつくしい。魅せられた。