名作の舞台                                              □ 山形県鶴岡市 本文へジャンプ

蝉しぐれ
藤沢周平




 満開の桜を東京でみて、鶴岡では雪に会った。薄墨の空から雪が舞う。川岸に身を寄せた鴨たちがぶるっと羽根の雪をちらした。つかの間、黒雲がほぐれ青い空がのぞいた。遠く町を囲む山々が白く浮かんで見える。藤沢周平の世界はやはり庄内の曇り空が似合う。

 藤沢は時代小説の名手といわれる。ぼうようとした流れの中で、登場人物がゆっくりと色濃く描かれていく。多くは微禄小身の平藩士、お家騒動の渦中で下級武士の哀感が心に響く。人間愛とやさしさ、詩情豊かな風土の描写が物語をささえる。「蝉しぐれ」もまた生まれ故郷の香りがする作品である。

 「海坂藩」。江戸から北へ百二十里、東南西の三方を山に囲まれ、北は海に臨むこの藩を藤沢はしばしば小説の舞台にした。架空の藩だが,藤沢が生まれ育った「庄内藩」が原型であることには違いがない。「蝉しぐれ」は、その海坂藩の下級藩士たちの物語である。

 牧文四郎は普請組・助左衛門の養子、十五歳の少年。親友の小和田逸平は城に上がり、秀才の島崎与之助は江戸の塾に行く。一人残った文四郎に突然、不幸が襲った。父助左衛門が藩に反逆したという罪で切腹を命じられ、家禄も四分の三に減らされた。父が切腹した日、文四郎は、冷たい視線をあびながら、ひとり父の遺体を乗せた荷車をひいた。その折、小走りに駆けてくる少女がいた。<車の上の遺体に手を合わせ、よりそって梶棒を掴んだ。無言のままの眼から涙がこぼれるのをそのままに、一心な力をこめて梶棒をひいていた> 隣家の十二歳の娘ふくだった。

 作家の井上ひさしが、この作品をもとに海坂藩の城下図をつくった。克明に書かれた城下の町割りを地図にした。市の中心部を大きくうねる内川は小説の中の「五間川」に重なり、文四郎が父の遺体を運び出した「竜興寺」の在処には、真言宗の古刹「竜覚寺」があった。その竜覚寺では「創建が平安末期、藩主の祈願寺でしたから切腹の場としては考えにくいんですがねー」と三十六代目の住職。「でも小説の世界ですから」。住職も藤沢作品をなんども読みかえしているようだった。

 やがて「ふく」も江戸の大奥に出仕するので城下を去る。藩主の寵愛をうけ「お福」と呼ばれるようになって、世継ぎをめぐる政争に巻き込まれることになる、城下に戻り出産したことを知った次席国家老一派が母子の抹殺を諮る。その役を文四郎に命じた。しかし文四郎はひそかに母子を連れだし五間川を舟で下って逃げる。それから二十余年後、尼になるお福と郡奉行に出世した文四郎が、領内の湯宿でやっと結ばれる。

 藤沢は町はずれ、金峰山の麓の村で生まれた。空き地の生家跡には石碑が据えられていた。そういえばいくつかある記念碑はいずれも最近になって建立されたものばかりだ。「晴れがましいことが嫌いだったんです。亡くなった後に家族の了解を得てつくられた」と地元の人はいう。藤沢の風をさがして訪れる人が増えてきた。ことし市で作品ゆかりの場所探しが進んだ。「蝉しぐれ」のゆかりの3カ所に真新しい案内板が立った。


ふじさわ・しゅうへい 1927〜1997。山形県鶴岡市生まれ。山形師範を卒業後に中学教員、結核で退職。業界紙編集者をやる傍ら執筆。「暗殺の年輪」で第69回直木賞受賞。

☆ メモ 市内のそこここに小説の舞台があった。市の資料館に周平コーナーが特設された。案内パンフが直ぐなくなってしまうと係りの人。ここは「雪の降る町」のふるさとでもある。