名作の舞台                                            □ 和歌山県那賀町 本文へジャンプ


華岡青州の妻
有吉佐和子




 曼陀羅華はチョウセンアサガオと呼ばれる秋の草花だ。このマンダラゲを主成分にした全身麻酔薬をつくりだしたのが紀州の蘭方医、華岡青州だった。「華岡青州の妻」はその青州を支えた華岡家の女性たちの物語である。

 舞台になった華岡家は紀ノ川ぞい和歌山県那賀町の高台に復元されていた。建坪二百二十坪の広い屋敷は青州が全身麻酔による手術の成功で知られるようになってからのものだ。手術室、病室、門弟の寄宿舎もある「春林軒」は、昔のままにみかん畑に囲まれていた。

 加恵は名手荘の大庄屋妹背家のひとり娘だった。幼い日に、ひと目みた青州の母、於継の美しさにあこがれた。ぜひ息子の嫁にーという於継の申し込みも親の反対を押し切ってうける。加恵は於継によく仕え、於継もなにくれと嫁を気遣かった。その睦まじさは人もうらやむほど。しかし京都に遊学中の青洲が帰郷したとたん、嫁と姑の陰惨な心の戦いが始まった。

 紀州女は正義感が強く、”しっかりもん”だといわれる。有吉はこんな紀州の女性を好んで書いてきた。この小説でも愛情の深さを競う女心の微妙な振幅を巧みに描いた。張り合う気持ちがやがて憎しみに変わる。ある夜、於継は青州に迫るように口を切った。「麻沸湯の実験はわたしを使うてやりよし」。次の瞬間、加恵も言う。「とんでもないことやして、私を使うて頂こうとかねてから心にきめておりましたのよし」。後継ぎの子を思い、夫を思うすさまじいばかりの言葉のやりとり。それはよそ目には姑と嫁との美しい争いと見える。しかし加恵の耳には一本一本鋭い杭を打ち込まれるように聞こえるのだった。

 地元のお母さんたちの劇団「華岡青州」はこの「華岡青州の妻」をもう三十回以上も演じてきた。「台詞は生々しいですね。演じるといつのまにか自分の言葉になってしまうんです。それほどリアルなんです」。劇団代表で「於継」役を演じる北谷人美さん(52)はこういって笑った。核家族時代になって、嫁と姑のいさかいは表向きは聞かれなくなった。しかし迫真の演技に仲間内からも「見るのがこわい」といわれるようになって筋書きは三回書き直された。

 華岡家の嫁と姑は、ともに青州が調合した麻酔薬を服用して人体実験台になる。青州は於継には軽い薬を、加恵には麻酔薬「通仙散」を試す。この実験は成果を上げ、文化元年(1804)、青州は乳癌患者に全身麻酔薬を使った世界ではじめての手術に成功する。しかし実験の副作用で加恵の視力を衰え、ついに失明してしまう。不自由な体であっても、加恵の生活は人々の労りと愛に恵まれてしあわせだった。「結局、ねえさんが勝ったのね」。手遅れの乳癌で死んだ義妹がのこしたひとことを苦くかみしめた。

 「医聖華岡青州の里」として売り出す那賀町。町章にマンダラゲを取り入れ、春林軒のそばに青州の資料を展示するミュージアムも開館。町内の小学校では華岡青州が授業にも取り入れられるようになった。「嫁も姑もわが身を捨てて先生に協力する姿が尊い。いまもその家族愛にうたれます」。青州の里づくりに一役かった前教育長の池田章さん(80)。男の目で青州の里は活気づいていた。
     
ありよし・さわこ 昭和6(1931)年−昭和59(1984)年。和歌山市生まれ。東京女子短大卒。「演劇界」記者を経て「地唄」(芥川賞候補)で作家デビュー。「華岡青州の妻」で女流文学賞、「出雲の阿国」で芸術選奨を受賞。他に「紀の川」「恍惚の人」など。