名作の舞台                                             □ 佐賀県佐賀市 本文へジャンプ


人間の壁
石川達三

 
 
 本棚でみつけた『人間の壁』は赤茶け、ほこりをかぶっていた。昭和三十六年に出版されて、いまは絶版だという。読み返してみると、この文庫本からは物悲しげで、それでいて元気な、戦後教育の鼓動が伝わってきた。
 石川達三がこれを書き始めた昭和三十年代の初め、学校教育は動乱期にあった。敗戦で戦前の教育が否定され、沈んでいた文部省が巻き返しに転じていた。『人間の壁』で取りあげられた教職員組合の闘争もこんな時代背景のもとで起きた。
 主人公はS県の小学校に勤める尾崎ふみ子先生。県の財政逼迫を理由にふみ子先生らは退職勧告を受ける。教職員組合が激しく反発、勧告を返上した。組合にはむしろ無関心だったふみ子先生は、これをきっかけに組合運動に目覚めていく。その一方で出世主義の夫は第二組合に走り素朴で温かい心をもった同僚教師が学校を追われる。そんな中で、ふみ子先生は貧困に苦しむ子、事故で死んでいった子を思い、教室に生きようと決意する。
 この小説の下敷きになったのは32年2月に起きた佐賀県教組(佐教組)の「三・三・四闘争」。教員の大幅削減、定期昇給の十年間凍結など、すざまじいばかりの合理化案が示され、佐教組は十四日に全組合員の三割、十五日も三割、十六日には四割の休暇を指令、抗議集会への参加を呼びかけた。しかしこの休暇戦術は違法とみなされ、逮捕者や大量の処分者を出すことになる。
 社会派の作家らしく石川はこの事件を克明に追った。佐賀には何度も足を運び、日教組教研集会の五千冊近いリポートに目を通した。白紙の立場で書き始めたが、問題を追及するなかで、いつのまにか教師の立場にたっていたという。
 「当時は五十人以上の学級は当たり前、さらに子供が増えるというのに四百人もの首切り。めちゃくちゃでした」と佐教組書記次長だった丸山正道さん(75)。保守的な土地柄だけに、佐教組は全国でも一番弱い教組といわれた。その組合が強い行動に出た。
 『人間の壁』は、丸山さんや北崎稔書記長ら幹部が逮捕され、少年刑務所に勾留されたところで終わるが、実際の物語は三十年に及ぶ裁判闘争につながる。「だんだん関心が薄れ、『まだ居よっとか』と同僚からもいわれました。きっと勝ってくれると信じていました」と北崎スエノさん(80)。最高裁で刑事事件の無罪が確定してやっと晴れた。
 起訴された四人のうち北崎さんら二人は亡くなっていた。佐賀県庁に近く、佐教組の闘争本部があった旧教育会館も二十年ほど前に取り壊された。そこから歩いて十分ほど、抗議の人波でゆれた県庁前広場も、植え込みが造られ、静まっていた。
 佐教組は二年前に結成五十年を迎え、『人間の壁』が話題になった。上芝正子委員長も何年ぶりかに読んだ。「なにより子どもたちのためにという一途な願いが闘争の底流にあったんですね。それが教職員組合運動の原点だと改めて感じました」。佐教組の物置には、警察に押収され書類や文書が山と積まれていた。「なんだか触ると壊れそうで、いまはそっと置いておきます」と女性委員長はつぶやくように言った。

 いしかわ・たつぞう 1905ー1985。秋田県横手市生まれ。早大英文科中退。雑誌記者を経て作家に。『蒼氓』で第1回芥川賞。社会性の強い小説やエッセーを書く。

☆ メモ 葉隠れの精神って。佐賀には抵抗の歴史がある。鍋島藩の官窯跡を訪ねた