名作の舞台                                              □ 京都市・北山 本文へジャンプ

古 都
川端康成

   

   
 「古都」の舞台を訪ねてみようと京都の市内地図を広げてみると、その舞台は洛内、洛外の二十数カ所にもおよんでいた。作品に描かれた折々の行事を重ねあわせると一年かかりになる。しかしこの「古都」でだれもが強く印象づけられるのはすんなりのびた北山杉の里の風景だろう。出かけた京都の北はずれ、北山の里は秋雨にうたれていた。

 <山は高くも、そう深くもない。山の頂にも、ととのって立ち並ぶ、杉の幹の一本一本が、見上げるほどである。数寄屋普請に使われる杉だから、その林相は数寄屋風のながめと言えるだろうか>

 高雄を過ぎて車でひとしきり走る。両側に続く杉木立。枝を払われた細い幹がそろって、それはフラミンゴのよう。谷間から立ち上がった霧がたちまち杉木立を包み込んだ。

 この北山を舞台にした「古都」は、昭和36年から翌年にかけ執筆された。後年、ノーベル文学賞の授章式で「美しい日本の私」を講演するが、そのころ川端は「いにしえの山河」「日本の伝統美」に思いを深めていた。とりわけ京都の風物に心惹かれ、しばしば訪れた北山の里でひとときの安らぎを得ていたという。
 「古都」は、この山里で生まれた双子の姉妹をヒロインにして物語は展開する。北山杉を育てる職人夫妻の双子の姉として生まれた千重子は、生後まもなく捨てられ、室町筋の呉服問屋に拾われ、お嬢さんとして育つ。ある日、訪れた北山でうり二つの妹、苗子をみかける。「神さまのお引き逢わせどす」。祇園祭の夜、ようやく姉妹であることを確かめ合う。
 川端は、この小説を睡眠薬を常用しながら執筆した。「眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた。眠り薬が書かせたようなものであったろうか」(「あとがき」から)と書く。そのせいだろうか、ヒロインもどこか幻の世界の杉の精を思わせるのである。
 
 杉の里でひとり働く苗子を案じて、千重子は北山杉の里をふたたび訪れる。折からの稲妻と雷鳴、おおいかぶさって姉をかばう妹。「苗子さん、ほんまにおおきに、お母さんのおなかのなかでも、こないしてもろたんやろか」。しかし、苗子は、養父母のもとで一緒に暮らさないかという千重子の誘いをかたくなに断る。千恵子と間違えた西陣の織り屋の息子からの求婚も「幻の千重子ちゃん役はいや」ときっぱり断るのである。
 
 西陣織の着物を着こなした呉服問屋のお嬢さんと絣ともんぺが似合う姉妹の交わりはいとおしい。京絵巻にとりこまれ、京言葉が情緒を盛り上げる。山本健吉も「この美しい一卵性双生児の姉妹の交わりがたい運命を描くのに、京都の風土が必要だったのか。あるいは逆に、京都の風土、風物の引き立て役としてこの二人の姉妹はあるのだろうか」と解説している。 冬の日、苗子が千重子を訪ねてきた。一夜を話しあかして翌朝早く、「これが私の一生のしあわせどしたやろ」という言葉を残して、苗子は粉雪の中を北山に帰っていった。
 北山の里の今は厳しい。家造りが近代化され,工法も変わって、北山銘木の需要が減り、値段も安くなった。単価が落ちた分、出荷本数を増やす。「若木を切り出すようになって山は荒れる。そして山を守る職人の後継者も育たない。このままでは伝統工芸は廃れてしまう」。親の代から川端家とは親しい森下久治さんは話していた。

かわばた・やすなり 1899ー1961年。大阪生まれ、1957年にノーベル文学賞。「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」など。72歳で自殺。

☆ メモ 道は山陰に通じていた。杉の並木がみごとだが、それには手が掛かる。