名作の舞台                                              □ 奈良県櫻井市 本文へジャンプ


古寺巡礼・十一面観音

和辻哲郎




 二年ほど前、姫路市仁豊野の和辻本家に所蔵されている蔵書をどこかで保管できないだろうかと相談をうけた。和辻哲郎の父が所蔵していた四百冊ほどの書籍。江戸時代の医書にまじって読み古された何冊もの和書が目をひいた。子どもの頃から読書家だった和辻も親しんだであろうそれらの蔵書は結局、地元の神戸大学に寄託された。

 和辻は美術を岡倉天心から学び、横浜・三渓園の原三渓のもとに集まる画家や評論家との交わりで美術への鑑賞眼を磨いてきた。古寺巡礼の旅に出る前、二十九歳の和辻は姫路の実家で一夜を過ごしている。<昨夜、父は言った。おまえの今 やっていることは道のためにどれだけ役に立つたのか。・・・・その不肖の子は絶えず生活をフラフラさせて、脇道ばかりにそれている。父の言葉がひどくこたえた>。和辻家は代々の開業医の家系、村の知識階級の子として豊かに育った”不肖の子”の視点の自由さゆえに知識を重ね、想像をめぐらせる「古寺巡礼」が生まれたのかもしれない。

 和辻が古寺巡礼の中で「神々しい威厳と人間のものならぬ美しさ」と讃えた十一面観音像は、櫻井市郊外、小高い丘に建つ聖林寺にあった。<きれの長い、半ば閉じた眼、厚ぼったい瞼、ふくよかな唇鋭くない鼻ーすべてわれわれガ見慣れた形相の理想化>と賛辞が続く。<幾多の教典や幾多の仏像によって培われてきた永い、深い、そしてまた自由な、構想力の活動の結晶なのである>

 間近に見た十一面観音は、ふくよかで、それでいて軽やかにみえる。「思わず手を合わせたくなる仏像です」と倉本弘玄住職。飛鳥時代に生まれたこの観音は、明治維新の神仏分離令で三輪山のふもとにある神宮寺から追われた。「捨てられていたというのは俗説、実際には人々の手で脇侍や立像と三体一緒にこの寺に運ばれ避難してきたのです」と住職は話してくれた。

 「当麻曼陀羅」が本尊になる当麻寺は二上山がのぞめる当麻の里にあった。<その景致はいかにも牧歌的で、人を千年の昔の情緒に引き入れていかずにはいない。天平の塔を眺めながら、ぼんやりと心をはなしておくと、濃い靄のような伝奇的な気分がいつの間にかそれをつつんでしまう>と和辻はいう。俗なわたしに浮かんだのは一夜でこの曼陀羅を織り上げたと伝わる中将姫だった。

 金堂の薄暗がりのなかで金網越しにつくづくと曼陀羅をながめた。蓮の花の三尊が浮かんで見える。浄土図絵はなかなか近代的だ。そういえば東山時代の模写だという。中将姫に淡い思いをかけて訪れた和辻は、その曼陀羅に夢がないと思う。「創建当時のものにはおおらかな夢があったんでしょうがね」と案内役の住職が言った。

 和辻の古寺巡礼は、若さがほとばしる面白みがある。熱っぽく語りかけ、ときにはがっくりとううなだれる。それがまたおもしろい。


わつじ・てつろう 1889−1960 兵庫県姫路市生まれ、東大哲学卒、京大教授から東大教授に。夏目漱石門下。「日本精神史研究」「風土」「鎖国」など。

☆ メモ 高校(姫路中学)の大先輩、和辻本家はいまも開業医の家系を継ぐ。近くに民俗学者の柳田国男の実家もある。瀬戸内に広がる播州平野は奥が深い。