名作の舞台                                             □ 和歌山市木ノ本 本文へジャンプ


紀ノ川
有吉佐和子


                   


 「紀ノ川」の舞台になった和歌山市木ノ本。紀ノ川に沿ったこの一帯は、戦前まで木本、垣内の大地主が占めてきた。忙しい旦那衆にかわって、「大御っさん」と呼ばれるしっかりもんの女主人が家を支えてきた。「紀ノ川」は流域に生きた旧家の女たちの物語である。

 物語は、高野山に近い九度山から嫁ぐ主人公の花と祖母との慈尊院詣でから始まる。
やがて花嫁らを乗せた五艘の舟が紀ノ川の流れに。川沿いからの祝福の中.六十谷へと下る。 「紀ノ川沿いの嫁入りはのう、流れに逆らうてはならんのやえ。みんな流れにそうてきたんや。自然に逆らうのはなによりもいかんこっちゃ」。下流の旧家・真谷家への縁組みは大御っさんのこんなひと言で決まった。

 華やいだ舟下りは、芝居の幕開けを思わせる。有吉さんらしい劇的な構成は明治、大正、昭和の四代にわたる紀州女の生きざまに及んで息もつかせない。流れに逆らうことなく生きた花、「お母さんは古うて」と新しい女を実践する三代目、そして祖母から母、母から娘への強い絆を感じる四代目は、有吉さん自身である。

 冬のある日、和歌山に「紀ノ川」の里を訪ねた。地図にある「九度山」や「六十谷」の地名をたどったが、小説の女たちの跡はなかった。花のモデルとされる垣内一族の二女ミヨノさんは、実は目と鼻の先にある木本家に嫁いでいる。舟でのお輿入れも小説の世界だった.
亡くなる一年半前にここを訪れた有吉さんは「いや、あれはフイクション、フイクション」と繰り返して去った。

 有吉さんの母親の実家でもあった木本の家は、二百年を経た門構えの広い家だったが、住む人もなく荒れ果てて数年前に取り壊された。空き地の片隅に土蔵だけが残った。

 木本本家と縁続きの木本延子さんは、古い写真を手にしていた。「私が嫁いできたとき、本家にいた佐和子ちゃんはまだおかっぱの小学生。この写真ですよ。その佐和ちゃんが 小説をかいたのには驚きましたね。でもね、うちのことはあまりよくかかれていないんです。まあ小説ですからね」。木本家の歴代の墓は延子さんらが今も守っている。

 器用さゆえに芥川賞にも直木賞にも縁遠かった。「(才女の)レッテルを剥がすためにも悲愴な決意で書いた」(わが小説)のが「紀ノ川」である。有吉さんは紀州を舞台にした作品を次々と書いた。しかし、なぜか地元に記念すべきものがない。

 和歌山放送プロデューサーの恩田雅和さんはいう。「有吉作品は芸術もの、社会派、それに紀州ものに分けられ紀州ものはその一部なんです。地元に作品は残っても、やはり東京の作家としてしか見られないのですね」。恩田さんは十年ほど前、有吉作品の読書会を主宰した。今は再開の話も聞かれない。

 紀ノ川をさかのぼった。ゆったりと流れる青磁色の水面。上流の河原では何条もの流れになり、葦の茂みをくぐって流れる。国道24号線が川から遠ざかり、また近づく。

 洪水が川筋を変えた。「お前はんのお母さんは、いうてみれば紀ノ川や。悠々と流れよって、見かけは静かで優しゅうて、色も青うて美しい。やけど、水流に沿う弱い川は全部自分に包含する気や。そのかわり見込みのあるつよい川には全体で流れ込む気迫がある」。手のひらにすくった水はどこかひやりと重かった


ありよし・さわこ 1931−1984 和歌山市生まれ。31年芥川賞候補になった「地唄」で文壇入り。「華岡青州の妻」「恍惚の人」など。

☆ メモ 古い家が並んでいたこの木本地区は和歌山のベットタウン。例の毒カレー事件もこの新しい住宅地で起きた。