名作の舞台                                             □ 岩手県住田町 本文へジャンプ


風の又三郎
宮沢賢治


どっどど どどうど どどうど どどう 
青いくるみもふきとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど
  どどうど どどう
 風の音、それとも鹿踊りの太鼓の音だろうか。短い歌で書きだされた「風の又三郎」は、山間にある小学校に転校してきたひとりの小学生をめぐる十二日間の物語である。

 九月一日、山の分校に「変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ズボンをはいて、それに赤い革の半靴をはいた」転校生がやってきた。その赤毛の子がなにかをするとどうと風が吹く。「ああわかった。あいつは風の又三郎だぞ」と叫んだのは五年生の嘉助。「そだないよ」とただの転校生「高田三郎」だと言うのは六年生の一郎だった。

 こどもたちがかけまわる野山はもちろん童話の世界である。宮沢賢治が生まれた花巻から四十`ほど離れた北上山地の真ん中、種山ケ原がモデルだとされる。クヌギやドングリ、カラマツなどの森が連なる高原。奥羽山脈からの西風が、東からの風とぶっかる風の交差点だ。霧がわきあがり、雷がはげしい雨風をよびこむ。賢治は、この変幻自在さが気にいったらしく、童話の他に詩や劇にこの自然を写しとった。

 「風の又三郎」には下敷きになる作品があった。以前に書いた「風野又三郎」である。この又三郎は、はじめから「風野又三郎だ」と名のり、山の子たちに体験を誇らしげに語りかける「風」だった。風の精を転校生に置き換え、「種山ケ原」や「さいかち淵」などの作品から舞台を借りて「風の又三郎」は生まれた。
 放課後、三郎たちは原の放牧場で馬を追って遊んだ。そのうち一頭が柵を越えて丘のむこうに逃げ出した。追いかけているうち嘉助は黒い霧に巻かれて迷い、眠ってしまう。その夢の中で「風の又三郎」を見た。ガラスのマントをまとい、光るガラスの靴をはいた又三郎は、「ただ小さなくちびるを強そうにきっと結んだまま黙って空を見ているのです。いきなり又三郎はひらっと空へとびあがりました。」その夢の姿に嘉助は三郎を重ねていた。

 この童話は、なにげない子どもたちの日常の物語なのだが、嘉助の目線で読むとちょっと怖いが、親しみのもてる超現実的な世界が開けてくる。ふっと、こどもの世界は万華鏡の世界なのかもしれないと思わせる。「賢治の作品に流れるのは『共生の思想』ですね。それは生き物にも、自然にも通じるんです。そこを読んで欲しいのです」。宮沢賢治記念館の宮沢雄造館長は話すのだった。

 転校してから十二日目、三郎は嘉助たちの前から消えた。父親の仕事の都合で急にひきあげることになったのだが、子どもたちには山間を吹き抜けた風として印象づけることになる。

 種山ケ原を訪れた日、谷間から霧がわきあがってきた。ひやっとした風が抜けて山はたちまち霧におおわれる。江刺市からきた小学三年生たちが芝生に広がった。自由時間だというのにはしゃぐ姿はない。お弁当を食べおえた小学生たちはバスで急ぎ山を下りていった。霧のなかで、マントを翻らせて立つ又三郎のブロンズ像がさびしく見えた。

 みやざわ・けんじ 1896(明治29年)−1933(昭和8年)。岩手県花巻生まれ、岩手高農(岩手大農学部)卒業後の花巻農学校教員時代に童話、詩を書く。退職後に羅須地人協会を拠点に農業者を援助。「雨ニモマケズ」はあまりにも有名。詩集「春と修羅」「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」など。