名作の舞台                                             □ 広島県尾道市 本文へジャンプ


放浪記
林芙美子



 急な石段の道を登りながらひと息いれた。ふっと振り向くと、海に連なる甍の向こうに造船所がある島がみえる。細長くのびた尾道水道を渡し船がゆらりと対岸に向かった。尾道は瀬戸内の十字路、立ち止まってやすらぎまたどこかに旅立つていく町らしい。 「放浪記」の作家、林芙美子もこの町で過ごし、放浪につかれると戻ってくる旅の古里だった。

 〈私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…したがって旅が古里であった〉と書き出す「放浪記」は、第一次大戦後の暗い東京で飢えと絶望と屈辱にあえぎながらもしたたかに生き抜く「私」が主人公。

 尽くした「島の男」との初恋に破れ夜店商人、セルロイド女工、カフエの女給など職を転々。新劇俳優、アナキスト詩人らとの恋の遍歴も赤裸々に書く。なによりもひどい貧乏にもぺろりと舌をだす姿が多くの読者をひきつけ、後に五十万部を超すベストセラーとなった。

 「フミコの幼い頃、行商の両親と転々として、やっと落ち着いたのがこの尾道なんです。小学五年生から女学校卒業までの多感な少女時代を過ごしここで恋を知り、将来の夢を育むんです。上京後もふらりと尾道に戻ってきて、すこしでも縁故があればその家に宿を求めているんですね。尾道は心やすまる所だったんでしょう」。 地元で芙美子文学の研究をする清水英子さんは、この町が作家・林芙美子の創作意欲をかきたてた原点だとみる。

 裕福なお嬢さまたちが進学した大正初めの市立高女(現・県立尾道東高校)、そのなかで、行商の子、芙美子は精いっぱい明るく振る舞う。内心では、いつか有名になって見返したいと思い続ける。やがて井伏鱒二らを伴った里帰り講演会でそんな思いを果たすことになる。

 瀬戸の島々が望める千光寺山に、志賀直哉と向き合うように林芙美子の文学碑があった。ゆかりの文人たちの碑の中でも一回り大きい自然の岩に、 〈海が見えた。海が見える。五年振りにみる尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える…〉と「放浪記」の一節が刻まれていた。

 風景は絵で見るように書いているが芙美子の作品には「尾道の人」の出番がない。「いや、東京での刺激的な出会いに比べると尾道では平凡なつきあいで、小説にはなりにくかったんでしょう。付き合いが平凡だったからこそ尾道では安らげたのじゃないですか」と市教育長の砂田悦男さんは話す。

 家並みを縫う石畳の道で、地図を手に歩く女性たちに出会った。地元出身の大林宣彦監督の映画でみた風景をたどっているのだという。林芙美子は海沿いの一角に生きていた。芙美子一家が間借りした小さな借家を裏庭に移築した茶房「芙美子」は一時、店仕舞い、昨年、経営者が代わって開店した。
「林芙美子さんはもう古い人なんですかね。懐かしんでくれるのは中年以上の女性です」。大通りの書店の棚にも林芙美子は見あたらなかった。

 東京に戻って新宿区中井にある林芙美子記念館を訪ねた。三百坪の敷地に建てられた和風の家は芙美子の住まい。階段のある道に沿った、落ち着いたたたたずまいは千光寺山でみた豪商たちの別荘のある風景だった。芙美子にとって尾道はやはり心に残るふるさとだったのだろう。


はやし・ふみこ 1903−1951 山口県下関生まれ。尾道高女卒。恋人を追って上京、詩や小説を書く。「放浪記」がベストセラーに。「浮雲」「めし」など。 

☆ メモ 雨の千光寺山で坂を登るおばあさんにあった。「若い者が下におりて一人暮らし。いいところですが不便でね」。風光明媚な住宅地に悩みがある