名作の舞台                                                □愛知県半田市 本文へジャンプ


ごんぎつね
新美南吉



 「ごんきつね」は子供たちの間ではいまいちばん知られているキツネなのかもしれない。この童話が小学校四年生の教科書に登場したのは45年も前のことだった。教科書から消えるどころか平成元年からはすべての国語教科書に掲載されるようになった。小学生のだれもが一度は「ごん」と出逢うことになる。写真は新美南吉の生家
 これを書いた南吉は、愛知県知多半島の半田で生まれた。一面に稲田が広がり、雑木林や小高いごんげん山が点描になる豊かな土地柄。南吉童話には、こんなふるさとの風や匂いがしみついた。だから孤独で、さびしい物語も、素朴で優しい物語にみえてくる。そんな優しさがいまも子供たちに響くのだろうか。いや響かせたい、と願う大人たちが教科書の教材に選ばせたのだろう。
 「ごんきつね」の童話は、ひとりぼっちでいたずら好きの子狐の話だ。ある日、ごんは、村の小川で魚をとる兵十に近づき、いたずら心で魚籠の魚をとりだして川に逃してしまいます。しばらくして彼岸花が咲く田舎道で葬列に出会います。兵十に老母がいて、そして亡くなったことを知りました。「あのウナギは病気の母親に食べさせるためだったんだ」と、ごんはいたずらを後悔するのです。
 畳屋の二男坊だった南吉は四歳で母を亡くした。出産してから母は病気がち、母のぬくもりを知らないままに育った。小学二年生のとき、とつぜん母の実家に養子縁組する。村のはずれのがらんとした農家で継祖母と二人っきりの生活。自分で「不幸もの」とよぶ屈折した思いが作品の下敷きになった。「南吉の童話は暗いといわれます。それはこどもの目線で大人の文学を書いてきたからでしょう。大人になって読むとそれは暖かく感じられるんです」と南吉顕彰会事務局長の矢口栄さんはいう。
 童話「ごんぎつね」は悲しく展開する。いたずらの償いに、とごんはクリと松茸を拾い集めて兵十のもとに届けるようになりました。しかし兵十にごんの気持ちは通じない。ある日、兵十は物置でごんを見ました。「またいたずらをしにきたな」と火縄銃でごんをうってしまうのです。土間にクリが置かれてました。「そうか、おまえだったのか、いつも、くりをくれたのは」と倒れたごんに話しかけます。ごんは目を閉じたたままちいさくうなづきました。
 この作品は、南吉十八歳、地元の尋常小学校(現・岩滑小)の代用教員を終えた後に書きあげ、児童雑誌「赤い鳥」に投稿した。主宰者の鈴木三重吉が手を加え、読みやすくして昭和七年一月号に掲載した。発表されたごんぎつねは原文とは違っていた。半田市の新見南吉記念館にある原文のタイトルも「権狐」となっている。題名もやさしく変えられていた。 「話の筋は変わってないが、方言や呼び名などが直されています。原文は、若いという感じですが、私たちにはその原文に親しみが持てますね」と地元の南吉研究家大石源三さん(71)は話している。
 南吉は二十九歳の若さで亡くなった。戦争をはさんで五十八年、南吉童話の舞台になった岩滑地区は、広がっていた稲田が狭まり、段丘や雑木山にも家が建った。矢勝川の護岸工事も進んで、鷺たちが不自由そうに流れに足をおく。やがて堤の何万株もの彼岸花が咲きそろって記念館はにぎわうことになる。

にいみ・なんきち 1913〜1943。愛知県半田市生まれ。旧制中学時代から「赤い鳥」に投稿。東京外語(東京外語大)卒業後に郷里で教員をしながら創作活動。「おじいさんのランプ」「てぶくろを買いに」 など。