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 民権運動のふるさと野津田


町田| 図師小野路| 野津田小山田



 明治のはじめに、全国各地で自由と民権を求める自由民権運動が起こりました。時の藩閥政府に国会の開設、地租軽減、不平等条約の撤廃などを求めた運動でした。なかでも町田の民権家たちの動きはきわだっていたようでした。


 南多摩、北多摩、西多摩の「三多摩」は、明治26年(1893)まで神奈川県に属してました。その神奈川県は当時 民権運動の活発なところとして知られていました。その中核になっていたのが町田市域の豪農や地主層だったのです。明治10年代 野津田の石阪昌孝、村野常右衛門らが政治結社を旗揚げ 神奈川県会などを舞台に運動を展開していました。町田での民権運動は板垣退助の高知をしのぐほどだったのです。


 やがては民権運動が分裂 次第に力をうしなっていくのですが、この地で起きた草の根の民権運動は特筆されるものでした。




 □市立自由民権資料館

  多摩の民権運動の姿は、野津田にある市立自由民権資料館で見ることができます。芝溝街道に面した高台に建つ資料館は白壁のしょうしゃな造り。その用地は地元の民権家 村野常右衛門が開いた私塾「凌霜館」の跡地。村野の盟友 石坂昌孝もこの近く。 まちだを中心に多摩、神奈川の民権運動関係資料を収集、研究展示している。民権館は月曜休館。рO42−734−4508


 □民権の森 民権家の没落


 資料館に近い雑木の森に市営の牡丹園があります。シーズンには1000株近いぼたんが花をひらかせ、来場者でにぎわいます。その園の裏手にひっそり墓石が建つ。もうひとりの民権家石坂昌孝の墓です。

 見下ろす先の芝生の広場が石坂邸跡地。石阪は民権運動のために私財を投じました。27町歩といわれた田畑と家屋敷は他人に渡り いまに残るのは村人たちがたてた墓石だけでした。


 北村透谷はしばしば石坂邸を訪れています。長女石坂美奈子との出会いもこの屋敷でした。後に流浪先の米国で亡くなる長男 公歴もここで生まれています。