図師・小山田野津田・小野路まちだ人模様野草を摘む

 まちださまざま
 
 町田は動く町です。ある日、ショッピングセンターが店開きして、老舗のデパートが店じまいを決めました。駅前の通路で、一人で歌う路上ミュージシャンがいました。いつのまにかそれが何組かに増えていました。その通りは変わらぬ人の波でした。雑多なまちを雑多に紹介していきます。


☆ 鶴見川に鯉のぼり
 近くの鶴見川で鯉のぼりが川をわたっていました。鶴見川を護る地元のグループが300余りの鯉のぼりを川に吊したのです。場所は鶴見川上流の野津田地区。

 今回で5回目、ことしは笛吹市から借りた幟幡も加わって、川沿いの道がにぎやかに染まっていました。この時期 よくみかける風景なんです。でも かっての「日本一の汚れ川」の汚名を返上したことで 鯉がにあう川になったのです。「町田市制50年」 「鶴見川に清流をもどそう」 そんな幟幡がちょっと誇らしげでした。(08.04,25)

☆ 大賀蓮の里
 荒れた休耕田がいつのまにか大きな蓮田に生まれ変わっていました。ここは桜美林学園に近く、さらさらと小川がながれる小山田地区です。この夏も3反歩ほどの水田に蓮の花が競う ように咲いてました。
この大賀蓮は1947年に大賀一郎博士が千葉・検見川の弥生遺跡で見 つけた蓮の実を発芽させ、普及させた古代蓮です。府中市の大賀宅の庭先の蓮を町田のお 寺が移植、それを町田市が小山田に移植したのです。その後 市内の薬師公園にも移植され 、すっかり町田の名物のようになっているのですが府中市が「本家」なんです。(04.07.26)

☆ どんど焼き
  「火にあたると風邪をひかないよ」。ドンドの火を囲んでいたおばあちゃんが教えてくれた。2004年1月14日夜、図師町の田んぼでどんど焼きが行われました。このあたり 稲田が住宅地に変わってドンドの風景はつぎつぎ消えていきました。

残り少なくなっていたドンド焼きの一つで、ことしは地元のジャズバンドと子どもたちのお囃子が参加、炎を背にしてみごとなアンサンブル。寒空の中、ここだけはほっと暖かった。(04.01.14)

☆ 花いっぱいのダリア園
丘陵地に4000株ものダリアが咲いていました。町田市が18年前に障害者の作業施設として開設したダリア園です。姉妹都市の山形県川西町のダリア園から株分けしてもらい、丹精をこめてきたのです。

開園当時はわびしい公園でしたが、ひさしぶりにのぞいてみるとあでやかな花畑に変わっていました。30センチもある大輪の「銀盤」「宇宙」などが見事でした。ダリアは秋頃までとりどりに咲きつづけるそうです。バス停「今井谷戸」から徒歩10分。(03.07.09)

☆ はやばや牡丹は満開
ボタン園に行ってみたら、花の満開はすぎていました。白い大輪の花びらはぬれたティシュペーパーのようでした。近くの町田ボタン園はことしも4月15日に開園したのですが、20日頃にははやくも満開になってしまったようです。

丘陵地南斜面の庭園には千株以上のボタンが植えられ、この周辺では珍しいボタンの名所なんです。鯉のぼりがおよぎ、シャクヤクやフジが新緑に映えていました。神奈中バス「薬師が丘」下車。電話042−736−4477。

☆ 白州正子「武相莊」
 白州正子さんは古くからの町田の住人でした。町田・鶴川の茅葺き農家に戦前から住んでいました。1998年12月26日に88才で亡くなって、この住まいが公開されることになりました。
 先日、行ってみました。うすぐらい農家づくり、調度の一つ一つが鈍く光って見えます。雑木山の散策路は夏はさぞや、と思わせます。屋敷の背に夕陽が沈んでいきました。白州さんは、本当の日本の美を語れた数少ない教養人だったのです。「ぶあいそう」のネーミングがいかにも白州さんらしい。
 亡くなる一年前、河合隼雄さんとの対談の企画がありました。その連絡で会社にかかってきた電話で初めて元気な声を聞きました。「あなたも町田にお住まい、どうぞ、また鶴川でー」で電話が切れた。結局お会いできなかった。月・火休館。1000円。小田急線鶴川駅から歩いて15分。

☆ 夕焼けの空
 多摩丘陵を背にして遠く丹沢山塊が望めるこの図師の里からは夕焼けがきれいに見えます。山の端に沈んでいく風景もいいですが、沈んだ後に照り返す残照もみごとです。

 台風が去った2001年9月11日、この日の夕陽は一段と鮮やかでした。絵の具で描き上げたばかりの宗教画の世界でした。その夜、ニューヨークで超高層ビルが崩壊する大事件が起きたのです。

 日大三高が凱旋
 町内の日大三高が夏の甲子園大会で優勝しました。出場しても一回戦負け、毎回の町内会の応援カンパもちょっとむなしい思いでした。ところが今回は様子が違ったのです。猛打であれよあれよという間に勝ち進んで、まさかの優勝でした。25年前、となり町内の桜美林高校が優勝をしたときも、「まさか」だったんです。

 2001年8月23日、日大三高の選手たちが学校に帰ってきました。ぼくとつな監督に、さわやかな笑顔のナインがキャンパスに帰ってきたのです。物好きに写真を撮ってみました。
                                     

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