イタリア美術の旅 A  

死の勝利 
( シチリア美術館)

 棚橋 弘

 シチリアから南イタリアを16日ほど旅をしてきました。これまで、わたしにとって「イタリアの旅」といえば、フィレンツェやヴェネツィアなど、ルネサンスの栄光と精華を今にとどめている諸都市を訪ねる旅でした。そんな僕の足をシチリアに向かわせたのは、パレルモのシチリア州立美術館に残る一枚のフレスコ画でした。「死の勝利」。

 かつてパレルモのスクラーファニ宮殿の壁を飾っていたもので、黒死病の記憶もまだ生々しい15世紀中頃に描かれたものです。作者は不祥です。同じ主題の作品は、ヨーロッパ各地に見られますが、これはそれらのなかでもよく知られた作品の一つです。

 1347年晩秋、シチリア島のメッシーナに上陸した黒死病(ペスト)は、あっという間に島内を死の業火で焼き尽くし、翌年初めには早くもイタリア本土のピサに飛び火。トスカーナ地方からイタリア全土へ、さらにアルプスを越えて全ヨーロッパへと燎原の火のように襲いかかりました。その伝染力は途方もないすさまじさで、1349年までにこの災厄を免れた地方はほとんどなかったといわれるほどです。人々を恐怖のどん底に突き落とした黒死病は、東方の西アジアから地中海交易路を船で運ばれてきたものでした。

 この目に見えない死の使者に対しては、どんな権力者もまったく無力でした。ひとたびこの病いにとりつかれると、まず「股のつけねか腋の下にこわばった腫瘍ができ」、それが「またたくまに全身にわたってところきらわず吹きだし」、やがて「黒色か鉛色の斑点に変わり」、ほとんど3日以内に死んでいったといいます(ボッカッチョ『デカメロン』柏熊達生訳、ちくま文庫)。シチリアを含む地中海の島々の死者は島民の三分の二を超えたといわれますがいかに猖獗を極めたものであったか想像に難くありません(立川昭二『死の風景』講談社学術文庫、樺山紘一『ルネサンスの人と文化』NHK出版など)。

 老若貴賎の別なく容赦ない苛酷さで生命を奪い去って行く悪疫。埋葬もされず、腐乱してウジに食い荒らされた死体が、街角にあふれ、河や畑を埋めて、悪臭を放っているさまは、まさに最後の審判を目のあたりにした恐怖で人々を震え上がらせたことでしょう。その鮮やかな記憶が、黒死病が去ったあとも、生き残った人々の胸に「メメント、モリ(死を思え!)」とささやき続けたのも当然です。

 美術の世界でもまた、この影響は明らかでした。「死の勝利」「死の舞踏」といわれる絵が盛んに描かれるようになったのです。ルネサンスといえば人は宗教の桎梏から解き放たれて、生の素晴らしさを謳歌した時代と考えられがちです。それは一面では真実ですが同時に、打ち続く戦乱や黒死病によって、凶暴な死の記憶が人々の心にしっかりと刻み込まれていた時代でもあったのです。

 パレルモは人口約70万人のシチリア州の州都。かつては「コンカ・ドーロ(黄金の盆地)」と形容されるほど豊かな土地でしたが、今日のパレルモにシチリアの楽園の面影はありません。かつての繁栄の中心であった旧市街地の大半はスラム化し、時として街角の人々の強い視線に身の危険を感じることもあるほどです。シチリア州立美術館もそんな一画にありました。

 ホテルの朝食もそこそこに、美術館についたのは午前9時。その日の最初の入館者となりました。15世紀末に建てられたカタロニア・後期ゴシック様式に、ルネサンス様式を取りいれた、堅牢だが洗練された建物です。

 この宮殿の最初の主はパレルモの法務裁判官であったフランチェスコ・アバテッリス。正方形の中庭を囲む回廊から森閑とした展示室に入ると、「死の勝利」は、旧礼拝堂であったという第二室に掲げられていました。その前に一人立って、思わずたじろぎました。その大胆な構図、鮮やかに残る色彩は、死の有無をいわせぬ力を今も語っていたからです。

 絵は、四つに分割して壁から切り取られ、パネル装された縦横4〜5bはあろうかという大作です。その画面中央には、人々の頭上を左から右へと疾駆する馬にまたがった死神が、右手を大きく振り上げてこちらを見つめています。かすかに笑みを浮かべているようにも見えます。明日をも知れぬ身なのに、地上の権勢に驕り、安逸と享楽を追い求める人間たちを嘲笑っているのでしょうか。死神は左手に弓を、腰には人の命を刈り取る大鎌と矢筒をつけています。

 弓矢は黒死病の象徴でした。たてがみをなびかせて走る馬も、死神同様ほとんど骸骨で、骨が浮き出ています。画面右の2枚には、まだ死神がやってくることに気づかない貴公子たちが狩をしたり、貴婦人たちが楽士の奏でる音楽を聴きながら語り合っています。一方、死神が通り過ぎた後の左画面には、矢に射抜かれた王侯貴族や高位聖職者らの屍が折り重なるように横たわり、左端では、まだ死の恐怖から解放されていない一群の貧しい人々が、救いを求めて神に祈っている姿が描かれています。

 しかし、画面からは不思議なほどおぞましさは感じられません。死の圧倒的な強大さ、明快さが、人間の想いなど一掃してしまうからでしょうか。それとも僕が前日、7000体にものぼるミイラを保存しているカプチン会修道院の鬼気迫るような地下墓地をすでに見学していたからでしょうか。いずれにしろ、この絵は、死に対する人間の無知と無力、そして生のはかなさだけは十二分に語り尽くしているように思えるのです。

 それにしても、この大画面を描いた画家には並々ならぬ力量を感じます。以前はカタルニア出身の画家の手になるものと考えられてきましたが、現在では、国際ゴシック様式に属する二人の画家の共同制作だろうと見られています。宮下孝晴・金沢大教授は、一人はヴェローナで活躍したピサネッロの弟子か協力者で、もう一人はフェッラーラ派に属する画家だろうと推定しています。「繊細で宮廷風なピサネッロ様式の人物と、がっしりとした輪郭線と冷たく個性的な表情を特徴とするフランチェスコ・デル・コッサやコズメ・トゥーラのような人物が画面に混在」しているからです(『イタリア美術鑑賞紀行6』美術出版社)。

 この美術館には、ほかにもフランチェスコ・ラウラーナの「アラゴン家のエレオノーラの胸像」や、アントネッロ・ダ・メッシーナの「受胎告知のマリア}などの名作がありますが、僕は幾度となく「死の勝利」の前に立ち戻り、見上げました。死よりも確実で絶対的なものが、この世に存在するのかだろうか、と考えながら。美術館を出て、2分も行くと目の前に紺青のテレニア海が広がり、まぶしい春の陽光がそそいでいました。今見てきたばかりのあの凶暴な死の影など、どこか遠い世界の話のようです。

 どれが真実の世界なのでしょうか。不意に、自分がその二つの世界の割れ目に立ちすくんでいるような錯覚に囚われました。それはめまいにも似た感覚でした。その時、かつてどこかで読んだ言葉が蘇ってきました。「人間まさに風と灰にすぎぬもの、人の生はとるに足らぬもの」。

Hiroshi Tanahashi htana@ops.dti.ne.jp


☆ 掲載作品

 @「美しきイラリア」
A「死の勝利」
 B「蝋燭の聖母」
 C「貢の銭」


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